本祭では、全国の祇園祭と同じように、古式ゆかしいいでたちをした氏子衆の行列が、八ケ町内を練り歩きます。これを、神輿渡御(みこしとぎょ)といい、豊橋祇園祭では、源頼朝公にちなんで頼朝行列と呼んでおります。
この頼朝行列には、東三河地方独特の、笹踊りの舞い手が付き従います。笹踊りの様式は、1680年代には現在のかたちに出来上がっていたとされています。緋色の衣装に身を包んだ踊り手が3人1組になり、1人は太鼓、2人は小太鼓を打ち鳴らしながら踊ります。踊りの最中に力石と呼ばれる石を踏む事で、悪霊を追放する、とされています[同上]。毎年、宵祭の更に前夜には、子供達によるかわらしい笹踊りも披露されています。
神輿渡御は、各町が行列の中で役割を分担して行います。例えば上伝馬町では、吉田神社の神輿が出発する前に、素戔嗚尊の姉にあたる祭神をお祀りしている湊町神社に饅頭をお供えします。吉田神社で結界が切られると、いよいよ行列の出発です。まず、行列の先頭から、獅子飾鉾 (ししさかほこ) 、鼻高面 (はなたかめん)
などに続いて神輿が並びます。その後ろには神職、奉賛会役員らが続き、そして笹踊りが舞いながら後を追います。
さらに頼朝役の男児、乳母、十騎と呼ばれる、十人の武将に扮した子供達が付き従い、最後に饅頭配り (まんじゅうくばり) が、饅頭を配りながら練り歩きます。神輿渡御は、関屋町、上伝馬町、萱町、三浦町、指笠町、本町 (後者の3町は、現 新本町として統合) の順に巡り、本町の輪くぐり神社で祝詞をあげた後、札木町、西八町と回って吉田神社に戻ります。