豊橋祇園祭は、7月第3週の金曜日、大筒の練り込みと吉田神社での 手筒花火の奉納、"神前放揚(しんぜんほうよう)"
に始まります。手筒花火とは、節を抜いた孟宗竹(もうそうちく)の中に火薬を詰めたもので、噴出する花火を脇や腹に抱えて打上げます。先にご紹介した様に、東三河の手筒花火の奉納は、現在の花火大会の原型ともいえる歴史ある神事で、手筒の材料となる竹の確保から打ち手たち自らで行うのがならわしです。
大筒とは、手筒花火と同じ形状をした大型の花火で、台の上に固定したまま揚げます。18世紀には既に祇園祭に登場していました。各町内で用意された大筒は、氏子衆に担がれ、関屋町交差点で一斉にスタートします。大筒はそれぞれの町で、全ての家の前を通って吉田神社まで担ぎ出されます。
大筒が境内に到着する頃には日も暮れ、いよいよ手筒花火の神前放揚です。竹の切り出しから始まり、2ケ月以上前から準備していた手筒花火は、奉賛会役員や八ヶ町の青年達によって放揚され、神前に捧げられます。奉賛会メンバーの1人が、手筒花火の魅力を次のように表現しています。
"初めて手筒を放揚するときにはもの凄く緊張していて、火が熱くても緊張で何も分からないうちに終わってしまいますが、4, 5年するとだいぶ慣れてきます。 (中略) ベテランになってくると火が熱くても我慢できるようになり、鉄粉が刺し子の上に落ち、「シカシカ」と落ちる火の粉に、何ともいえない気分になります。"
次に、境内脇の広場に場所を移し、大筒の点火が行われます。大筒への点火は"振込み"と呼ばれ、独特の作法に則って執り行われます。2人一組で台に上り、筒の入り口から火の粉が入らないよう1人が筒先に覆い被さります。そして種火を持った点火役のもう1人は、その年の神事の無事を願って種火で"水"の字を3回書いた後、筒に被さった1人が身を起こして、点火役が大筒に点火します。合間には、小型の手筒花火や、筒先から星 (火薬の入った球) が多数飛び出す乱玉も打上げれられ、神事に華を添えます。
手筒の放揚をはじめ、一連の神事は細心の注意を払って行われます。吉田神社の氏子は、手筒はあくまで奉納するものと考えております。